米沢産地

米沢産地/上杉家が産業振興して

 山形県の南端にある米沢産地は、関ケ原の戦いで敗れた上杉景勝が、会津120万石から米沢30万石に減封され、領内の産業を振興したことに始まります。江戸後期には藩主の上杉鷹山が新潟の小千谷縮(おじやちぢみ)の技術を導入し、米沢織で藩を立て直しました。紅花や藍など植物染料による糸の先染め技術が確立され、色の美しい米沢織が全国に知られていきました。

 大正時代に米沢高等工業学校(現山形大学)の秦逸三教授が日本で初めて人造絹糸(レーヨン)を開発し、米沢市内でレーヨンの生産を開始し、天然繊維と化合繊の織物産地として発展しました。洋装としての商品開発も進め、ドビー織機を用いたシルクの先染め織物、ジャカード織の化合繊やシルク交織の織物も人気です。婦人スーツやワンピース、コート、フォーマルドレスなど高級服地を作っています。